コレクションはしない

ランジェリー何枚くらい持ってるんですか?

ランジェリーのコレクション見せてください!

好き=たくさん持っている

この価値観が幅広く浸透している今の世の中ならではの問いかけだ。

しかし、私はランジェリーをコレクションしていない。
何故ならば、ランジェリーとは

ボディが入って完成する芸術品

だと思っているから。
そこにあるだけでも、もちろん美しい。目の保養になる。

それでも、

ボディが入った瞬間に生まれる立体感。
透ける肌色とのコントラスト。
素肌に生まれるレースの影という装飾。

より輝きを増す瞬間を知っているから、私にとってのランジェリーは身に纏うことに意味がある。

だから私はランジェリーをコレクションしていない。

ぽつり、溢れた本音

クローゼットの中にあるベージュの身生地に深紅の小花が舞う柔らかなブラウスと、フクシャ色のロングスカート。密かにお気に入りの組み合わせだ。

しかし、その二枚をうっとりと眺めながら、ふと頭に過ったのは

「本当はこの組み合わせを服の下で楽しみたい」

だった。

田舎の道を歩いていると、鮮やかすぎるこの組み合わせ。どうしても風景と馴染まないそれはお気に入りを纏う喜び以上に、形容し難い着心地の悪さがまとわりつく。
もし、こんな色のペチコートとこんな柄のキャミソールを服の下で纏えたら、もっと心から「好き」を楽しめる予感がする。

だから私は、服の下にランジェリーでお花畑を纏うと決めたのだ。

あったかもしれない人生

ランジェリーを趣味から仕事にすると決めた頃、最初に出会った心惹かれる幾何学模様のレースが美しいランジェリーはトルコ発のブランド。

ふらふらっと色んなお店を巡っている時、必ず目が留まるのはトルコガラスの美しい器たち。

お洋服屋さんで素敵だな、と手に取ったワンピースはトルコのファブリックで作られたもの。

こんな事が7年近く繰り返され、何で私はこんなにトルコの技術に心惹かれるのだろう?美しいと感じるのだろう?と疑問に思いAIに話しかけてみた。

「あなたの前世はオスマン宮廷に出入りしていた目利きの商人だったのかもしれませんね。」

この何の根拠も無い、この私の前世の人生がとても気に入った。

前世で美しいものを沢山見て、触れて、審美眼を磨いて来た。そして、今世ではその審美眼を引き継いだまま今度は大学の芸術学部テキスタイルコースで物の成り立ちを学んだ。磨き上げた目と知識を自分の中で再編集してランジェリーの魅力を届ける仕事に打ち込んでいる。こんな美しいストーリーを辿っている魂が存在していても良いのでは?

ただ、ワクワクするから。それだけの理由で今日からこれを「私にあったかもしれない人生」として採用することにした。